遠隔授業:青年の心理 ADLESCENCE PSYCHOLOGY No.9

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ピーターパンとシンデレラ

  1. ピーターパン症候群(Peter pan syndrome)
  2. 1983年にダン・カイリーが提唱した概念。「誰でも持っている問題の一種」なので、DSM(アメリカの精神病の診断基準)には掲載されていない。
    [意味]「成人」年齢に達しているにもかかわらず、精神的に大人にならない男性を指す言葉。カイリーは著書の中で「成長することを拒む男性」として定義している。
    [さらに]言動が「子どもっぽい」という代表的な特徴をはじめ、精神的・社会的・性的な部分に関係して問題を引き起こしやすい。
    →人間的に未熟でナルシズムに走る傾向を持っており、「自己中心的」・「無責任」・「反抗的」・「依存的」・「怒り易い」・「ずるがしこい」という子ども同等の水準に意識が停滞してしまう大人を指す。ゆえにその人物の価値観は「大人」の見識が支配する世間一般の常識や法律をないがしろにしてしまう事もあり、社会生活への適応は困難になりやすく必然的に孤立してしまう事が多い。
    ←近親者による過保護への依存、マザーコンプレックスの延長、幼少期に受けたいじめ若しくは虐待による過度なストレス、社会的な束縛感・孤立感、劣等感からの逃避願望、物理的なものでは脳の成長障害なども考えられるとされている。←元々、精神医学分野から出たものではないので「木に竹を接いだようなもの」。
    [だから]成長を拒むので大人の女性との対等な関係を結ぶことが苦手。大人の男としての現実的な将来への展望、人生への考想などの意識が著しく欠如するため、相手に対してつり合いが取れるだけの話題を共有することが出来ない。

  3. ウェンディのジレンマ(Wendy Dilemma)
  4. [意味]ピーターパンの「お世話係」。(ピーターパンの)相手をするのには手を焼くし、予想外の行動もある。そのたびに「私が悪い」と無理して頑張ってしまう。
    また、ほんのささやかな願望でも、まず不平・不満を並べ立ててからでないと実現できないと考える。彼女たちは母性を発揮することで結婚生活に満足感を見出そうとするが、それと気が付かないうちに、PPS人間の子供じみた駆け引きに引っかかってしまう。これは母親と息子の関係がそのまま再現されたものであるが、当然のことながら、大人としての男女の関係に大きな支障をきたすことになる。

  5. ティンカーベル
  6. ピーターパンの母親役を演じることをあっさり拒否し、自分自身が成長し、identityを見出すことに専念しようとした。そして彼女は二人(ピーターパンとティンカーベル)の関係が良くなるのも悪くなるのも、その責任の半分は自分にあると考えている。相手が気ままに未熟な行動をすることを許さないし、自分の弱さは認め、克服しようと大変前向きに生きようとする。
    相手の行動に左右されず、優先順位をつけてマイペースで行動する。理不尽だと思ったら抗議もする。

  7. シンデレラコンプレックス(Cinderella comples)
  8. 日本語版オリジナルはColette Dowling 「(全訳版)シンデレラコンプレックス」三笠書房1985

    [意味]男性に高い理想を追い求め続ける、女性の潜在意識にある「依存的願望」のこと。外からくる「何か」が自分の人生を変えてくれるのを待ち続けている。
    アメリカの作家Colette Dowlingが1981年に提唱した概念。彼女は著書で、「他人に面倒をみてもらいたい」という潜在的願望によって、女性が「精神と創造性」とを十分に発揮できずにいる状態をこのように表現した。幼いころから女性の幸せは男性によって決まると考え、シンデレラのように理想を追い求めるも、主婦をやっているうちに自主性を見失い、結果的に夫に依存し、自由と自立を捨ててしまうとされる。
    女性の自立を阻む要因の一つとして、「白馬を駆る素敵な王子様がどこからか現れて、迷える女の子である自分を救ってくれる」という幻想に取り付かれている事が原因。これに加え、シンデレラ=ストーリーへの本能的とも云える憧憬は、裕福な家庭に生まれた女性が「シンデレラになるための条件を生まれつき(?)持てなかった」として両親を恨むと云う事例がありふれたこととして語られるほどに、洋の東西を問わない普遍的な現象として認知されてきた。
    女子学生の場合、多様な人生の展望があることもあり、その時点ではシンデレラコンプレックスも独立と依存の二重性を持つことが明らかとなっている。このような無意識の依存欲求は、裕福な家庭で育てられた女性や高学歴の女性に多くみられるとされる。有能で仕事ができ、社会的に自立している反面、他人に依存したいという潜在的な欲求が強いのだとされている。

    ―――幼年期が問題の始まりである。幼年期、危ない目に遭う事はなく、何から何まで面倒をみてもらい、必要なときにはいつでもママとパパに頼れば良かった時期。夜が悪夢でも不眠症でもなく、その日こんなしくじりをしたとか、ああすればよかったとか、そんな思いにつきまとわれ責め立てられる時間でもなかった時期。風邪が木々を優しく愛撫するのを聴きながら自然に眠ってしまう事の出来た時期。意識の表面のすぐ下に存在するそうした幼年期の甘ったるい思い出と、女性の強い家庭志向とのあいだには、一つの関連性があるとわたしは思う。依存という点だ。誰かにもたれかかりたいという欲求---幼時に逆戻りして、大事に育てられ、面倒をみてもらい、危ないことから 遠ざけてもらいたい欲求。そうした欲求は大人になっても存続し、自足したいという欲求のすぐかたわらでなおも満たされたいとせがむのだ。ある程度まで、依存欲求は、女のみならず男にとってもごく正常なものである。しかし女の場合は、これから見ていくように、不健康なまでに他人に頼ることを子どもの時から奨励されてきた。内面を見つめる女性なら誰しも気づくように、自分で自分の面倒をみ、自分の足で立ち、自分を主張すると云った考えを受け入れるように教えられた事は一度としてない。(本文p.12)

    ○あなた自身、あるいはあなたの周辺に思い当る人はいないだろうか?


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