「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」 (ヨハネの黙示録13-18)

秘密の666の鍵  校長 井上良彦

 宗教委員長の中谷先生(短大)が原稿を頼みに来られた。先生が大阪狭山市に住んでおられたという話から、泉北や千里山のニュータウンの話になり、私の亡くなった義兄は大阪のチベットと云われた能勢に移り住んだというと、先生はあの辺りの郵便番号はたしか666と言い出された。そこでこの奇妙な数字の話となったのである。
 さきごろ物故された江川卓氏は独学でロシア文学を学び、多くの業績を残された。その中に「謎とき〈罪と罰〉」(新潮選書)がある。主人公は、天才にはそれができると言って金貸しの婆さんを殺した「ロージン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」である。この奇妙なイニシャルは「R、R、R」となる。六百万分の一の確率しかない。ドストエフスキーは何故この奇妙な名を創作したかを探ったのが文学探偵江川卓氏であった。
 作者は秘められた文字選びをしたのだ。RRRはロシア文字では英語のPPP、これを逆さまにして裏返すと、なんと666に見えるではないか。ヨハネ黙示録13章では凶悪なネロ皇帝のことを「その数字は666」と書いてある(皇帝ネロをヘブル語で書くとその文字の数値は666である)。
 日本人は「神も悪魔も」実は知らない。宗教的にはのほほんと育ってきている。だがこの世界と人生の真相は神も悪魔も知らないでは分からない。そういう「秘密の666」の鍵を聖書は私たちに授けてくれる。

第一回木いちごの会報告
 「木いちごの会」は宗教委員会が主催し、会員の皆様に北陸学院小学校の教育の基本理念であるキリスト教にもっと親しんでいただけるように企画する交流の場です。
 2001年度一回目の木いちごの会が去る5月24日、国際交流センター会議室において開かれました。当日は34名もの多数の出席者にお集まりいただきました。講師にお迎えしたのは、朝の礼拝でおなじみの田口昭典先生です。 

 初めに、普段なかなか見られない子ども達の朝の礼拝の様子をビデオで見ましたが、皆が聖書のお話しを静かに集中して聞いている様子にはびっくりしました。
 引き続き田口先生が「礼拝、祈りって何だろう」というテーマでお話ししてくださいました。先生は、ご両親のお話、ワル(?)時代のスピーカー事件、サラリーマンからキリスト教の世界へ入られたエピソードなど数々の体験談を語られました。
 時には笑ったり時にはジーンときたりしながら聞かせていただき、あっという間に楽しい2時間が過ぎてしまいました。
 とても考えさせられる有意義なときでした。では最後に、心に残った先生のお言葉を紹介させていただきます。
 「人間はつい、苦しまないことを約束してくれる神を求めてしまうが、人生には苦労や悲しみが存在するものである。祈ることを通じて、神はそのあらゆる苦しみを益としてくださるのである。私たちはそれを受けとめて常に前向きに生きていかなければならない」
T 記
第二回木いちごの会報告
 第二回「木いちごの会」は、北陸学院短大・人間福祉学科長の千葉茂明先生をお招きし、「家族のあり方」と題してお話を伺いました。

<人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる〜聖書・・・戦後50年の間に、日本人は目に見えるものばかり追い求め、その結果`家族’というものを喪失していった。本当に大切なものは目に見えるものではない。パン(食べ物)やお金、地位、名誉だけが価値のあるものではない。愛、友情、信頼、命といった目に見えないものにこそ重要なものがある。> 千葉家に伝わる手遊びの披露もあり楽しく、また「我が家はどうかな?」と考えさせられた講演会でした。まずはうちから!

<参加者アンケートより>
・笑いの絶えない家庭を作っていこうと思いました。
・「心のキャッチボール」が、家族、地域さらに社会においていかに大切であるかを考えさせられる良い機会になりました。
・これからは「心を育てる」ことを考えて行くと良いと思います。
・明日を担う子どもたちのために、今私たち女性が出来ることは何か?課題です。
・日頃、家族や子どもと 全く話し合いをしていないな・・と思いました。今の家族関係を見つめ直す良い機会になりました。 (参加者 27名 ) 
K 記



 木いちごの会 報告 (2000年度)

 去る10月4日、小学校2Fホールにて、第2回木いちごの会を開催いたしました。北陸学院短期大学 人間福祉科 科長・教授の千葉先生をお迎えし、「ボランティアで支える地域福祉」と題して、ご講演いただきました。

 「本来は3時間の講演内容なんですよ」とおっしゃったとおり、大変深く濃い内容で時間があっという間にたってしまいました。


 『福祉は机上で起きているんじゃない!現場で起きているんだ!』と「踊る大走査線」風にボランティア福祉の実行力の大切さを先生の体験談をもとにお話しされました。ボランティアをする側と受ける側とのギャップに、現場での難しさを感じることもありましたが、「家庭生活での家事や子どものお手伝い、家族を思いやる心での行動は、すべてボランティアや福祉につながることなのだ」と聞き、簡単にできるボランティアが家の中にたくさんあることを知りました。

 「今の子ども達は、目に見えない物を恐れる心(誰も見ていないところでの道徳心…『神の目』)を失っている。それどころか、目に見えるものさえ恐れない(堂々と非道徳なことができる)。」「戦後、日本人が失わなくてもよかったもの…それは、『宗教心』ではなかろうか?!と、宗教心の重要性を、聖書のみ言から仏教の教えまで引用され、ご説明くださいました。宗教、宗派の壁を越え、その内容は、家庭生活や教育にも通じるお話しでした。


隣人とはどんな人なのでしょう  小学校教諭 釜土純雄

 イエス様が「よいサマリヤ人」のたとえを話されます。

 「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカによる福音書9:30〜37)

 隣人とはどんな人なのでしょう。

 登場する祭司は名誉な職の人です。また、レビ人は人々から尊敬されている人々です。きっと急いでいたのでしょう。または、自分も襲われたらどうしようと思ったのかもしれません。私たちも、地位や名誉を求め、忙しさの中で色々ないいわけをしています。
 さて、サマリヤ人は異民族と異文化(異宗教)が入りこみ、当時のユダヤ人から民族や宗教の純粋性を失ったために軽蔑されていた人たちです。けれども、強盗に襲われ傷ついているユダヤ人を助けるのです。ここに登場するサマリヤ人は「よい」とされます。でも、注意して読むと大金を払ったとか治るまでずっと介抱したわけではないのです。また、翌日には宿屋の主人に任せてその場を立ち去ってしまうのです。
 イエス様は、このたとえ話の後で「だれが強盗に襲われた人の隣人になったと思うか」とお聞きになりました。

 先日、平和町養護学校とのふれあい合宿に本校児童・保護者(12名)が参加をいたしました。体の不自由な子を支える養護学校の先生方にボランティアの大学生が加わっての合宿です。会場はエレベーターもなくバリヤフリーでない施設でした。移動のほとんどが若い学生の力によるものでした。また、一緒に遊んだり話をしたり、一緒にトイレやお風呂に入ったり、中にはアルバイトを今終えてかけつてきたという学生もいました。私はそんな彼らの働きに感動しました。
 ボランティアの学生たちは、お金や授業の単位、名誉や自分のためにしているのではありません。また、時間が余っているからしているのではないのです。養護学校の子ども達とふれあっている時間が楽しいというのです。楽しい?……大変です。でも、そこには「隣人となれる」喜びが確かにあると思うのです。
 養護学校の子ども達もボランティアの学生たちに信頼の笑顔をこぼしていました。また、その保護者の方もなんと表現していいか分からないくらい感謝している、と話しておられました。さらに、そうしたボランティアの人が一人でも多く誕生してほしいと大きな希望と夢を語っておられました。
 イエス様は「行って、あなたも同じようにしなさい。」といわれます。
 


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