遠隔授業:青年の心理 ADLESCENCE PSYCHOLOGY No.10

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自立の視点

−青年の自立−

※先週の続き:モラトリアム人間
自信がなく自立できないのではなく、青年期のなかで安住し、大人になろうとしない青年たちの事。もともとは小此木圭吾(1978)が、「モラトリアム人間の時代」のなかで提唱したもので、モラトリアムを古典的モラトリアムと現代的モラトリアムに分け、それぞれの心理的特徴を次の様に述べている。古典的モラトリアムの心理では@半人前意識と自立の渇望、A真剣かつ深刻な自己探求、B局外者意識と歴史的・時間的展望、C禁欲主義とフラストレーションを特徴としている。他方、現代的モラトリアムの心理では、@半人前意識から全能感へ、A禁欲から解放へ、B就業感覚から遊び感覚へ、C同一化(継承者)から隔たり(局外者)へ、D自己勅使から自我分裂へ、E自立への渇望から無意識・しらけへ、と変化している。モラトリアムと云う語は本来、経済用語であり、エリクソンがそこから転じて用いた。つまり青年期は成人社会へ参加していくうえでの準備期間であり、そのために社会的な責任や義務から免除された社会的猶予期間であるとして、モラトリアムと定義したのである。心理社会的発達のなかで青年期は、自我同一性の確立と拡散の危機に当たり、それまで作ってきたいろいろな自己を一つの統合されたものとしてまとめる必要があるとした。したがってモラトリアムの内容としては、青年期と云う期間を示しており、そこにある青年の心性として先にあげた古典的モラトリアムの心理的特徴が当たることになる。その上で小此木は、エリクソンの云うモラトリアムを古典的モラトリアムとする一方、現代の青年だけではなく現在の社会的性格としてモラトリアム人間を提唱し、その心性を現代的モラトリアムのそれと対応させている。実際に社会的・経済的安定のなかで、学生と云う特権的地位にあることは、大人でも子供でもない事を可能にしている。毎日決まった時間に出勤して働くこともなく、朝何時まで寝ていても、授業を適当にサボっても怒られることもない。またアルバイトでもかなりの収入を得ることができ、高価な服を買ったり海外へ出かける事も可能である。多くの者は、4年間で卒業し、就職していくが、なかにはいたずらに留年を繰り返したり、問題意識もなく大学院へ進学していくと云った者もあり、問題となっている。さらに、就職しても適応できずに転職を繰り返す者も多い。こうした意味で、社会の一員として参加していくという意識は乏しく、いつまでも現代的モラトリアムの心性を捨てられず、社会では当事者意識を持たず、お客様であり続けたいとする、大人になろうとしない心理が底流にあると云える。

○自立の現状
中学・高校生を対象としたNHK世論調査部(1991)の調査によると、日常生活での自立として、自分自身でできないとしている割合は「身の回りの整理整頓」で3割、「朝一人で起きる事」で4割、「テレビをだらだらと見ない事」や「自主的に計画を立てて勉強する事」で7割となっており、基本的な生活の自立もあまり出来ていないと云える。また、「将来なりたいもの」や「やってみたい計画」については、7割が自分でできないとしており、生活面・心理面ともに依存的な傾向が観られる。さらに、同調査を詳細に見ていくと、親たちが目指す理想像として、「難でも話し合える友達のような親」「子どもの自由を尊重する親」「子どもの言い分を聞いてやる親」が、父母とも過半数から支持されている。ある意味では物わかりの良い親が増え、昔ながらに権威的な、厳格な、指導的な親は少なくなっていると云える。反抗的になりやすい中高生期にあって、こうした親の姿勢は青年にとって好意的であるが、却って親離れ・子離れを遅らせている可能性も否定できない。

○母なるものから飛び立つこと
Ausubel, D. P.が「脱衛星化」と云ったように、従来であれば、思春期年齢に達した頃に、親子関係が変化するとされてきた。しかし、現実は必ずしもこうなってはいない。種々の要因が考えられるが、現在の教育体制もその一因だろう。敗者復活の機会の少ない日本では、どの学校に入れるか、が大きな意味を持つ。そのため、ほとんどの者が高校進学をするなかで青年前期にあたる中学校時代は高校受験の準備期間としての意味が大きい。つまり青年らしく生きる事ではなく、入試のための準備=受験勉強を進めていくことになる。またここでの親の役割は勉強に快適な環境を整備する事であり、身の回りの世話から進学塾の手続きまでを行う事になる。このような受験体制は大学受験へと引き継がれ、青年がこの時期にやり終えておくべき発達課題の多くは残されたままになる。例えば第二反抗期は青年が大人や親と衝突する機会であり、これを通して子ども扱いをする親=母なるものから離れていくことになり、自分を見つめなおす契機にもなる。同時に対人関係の中心を同性中心、特に親友との関係に移行していくことが重要なのだが、現状では親や大人が準備したレールの上を進むことが求められており、これが大学受験・就職・結婚にまでも続いていけば、母なるものにどっぷりとつかった依存的で自己決定できない人間になることは当然の結果と云える。=ピーターパンシンドロームやシンデレラコンプレックスの心性を持つことが理解可能となる。

○父なるものから飛び立つこと
中学や高校の一部ではいまなお服装や身なり、家や学校での時間の使い方に至るまで、細かく規定してある校則があるように思う。今の子供たちはそこまで示さねばわからないのだという意見も聞かれるが、果たしてそうか?また、一部校則を緩和し、自由化を進めたところ、遅刻や欠席が増えたり、奇異な服装や髪形をする生徒が増えてしまい、再び校則を検討している所もあると聞く。
青年期の知的発達は論理的思考や抽象的思考が可能となる事を特徴として、これまで与えられてきた大人からのルールや支持に対して、その矛盾や非合理性を見つけ、批判的行動をとるとされてきた。親や教師の示す統制に対して反抗し、わざとルール破りをしたり、議論を持ちかけたりするなかで、ルールや約束事の意味を自分なりに理解し、そうして外的な規制がなくても自分の行動を統制することが可能になった。しかし、現状では校則の問題に限らず、文化祭・生徒会活動などの課外活動が活発でなくなったりするなど、先生や親などの外的な指示がないと動けない傾向が観られるようになった。これは中学生や高校生にとどまらず、大学生や社会人でも先輩や上司の指示がないと何もできない、或いは異性交際の仕方までマニュアルがないとできないマニュアル人間などと呼ばれる人たちが増えており、この傾向は若年層まで広がっているのが現状と云える。

◎自立とは何か?
1. 経済的自立   例えば親が大金持ちだったら子どもは生まれつき「大人」なのか?
2. 身辺自立
  重度の身体障碍者は永遠に大人になれないのか?
3. 精神的自立
  「精神的に大人になる」とは具体的にどういう事をいうのか?
※「自立」と「独立」、「独立」と「孤立」、「自立」と「自律」
⇔「一人で立つ」と云う事は、誰をも大事にしない、と云う事ではない。そこのところをよく考えてみて欲しい。上記の六つの言葉はそれぞれ異なっているが、似てもいる。どれもが大事な事だけれど、どれも「完全な大人」を意味している訳ではない。そもそも「完全な大人」なんている訳がないけれど・・・
だとすると、どんな「大人」になりたいと考えるのか?

※「友達」はいるか?=「親友」か?「真友」か?「心友」か?
携帯に登録したら「友人」だと云った人がいたけれど、よくわからない。あなた自身にとって、友人とはどのような存在か?


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