遠隔授業:青年の心理 ADLESCENCE PSYCHOLOGY No.11

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大人になること:義務と責任

−自立の視点 2−

○通過儀礼(iniciation)

古代社会において、通過儀礼は必要欠くべからざるものだった。未開社会において、或る個人が成長して、一つの段階から他の(次の)段階へと移行するとき、それを可能にするための儀式である。Mircea Eliade(1907-1986, ルーマニア出身の宗教学者)は「生と再生―――イニシエーションの宗教的意義」(堀一郎訳、東京大学出版会)の中で、「イニシエーションという語の一番広い意味は、一個の儀礼と高等教育群をあらわすが、その目的は、加入させる人間の宗教的・社会的地位を決定的に変更する事である。哲学的に云うなら、イニシエーションは実存条件の根本的変革と云うに等しい」と述べている。=イニシエーションによって、或る個人は全くの「別人」となる。彼はイニシエーションを三つの型に分けている。第一は少年から成人へと移行させる、いわゆる成人式・部族加入礼で、第二は特定の秘儀集団に加入するためのものであり、第三は神秘的なもので、未開宗教における呪医やシャーマンになるためのものである。これらの中で成人式が我々の関心のあるところなので、それについてみていく。

○成人式

未開社会における成人式は一般に次の様な要素から成り立っている(エリアーデによる)。(1)「聖所」を用意すること。俗世界から区別された聖なる場所を準備し、男たちは祭儀の間そこに隔離されて過ごす。(2)修練者(成人する者:novice=新米の意味)達を母親から引き離す。或いは、もっと一般的には全女性から引き離す。(3)修練者たちは隔離された場所で、部族の宗教的伝承を教え込まれる。(4)或る種の手術、或いは試練が与えられる。割礼・抜歯などであるが、皮膚に傷をつけたり、毛髪を引き抜いたりすることもある。この間、修練者たちはその痛みに耐えなければならない。

⇒このような社会では、子どもと大人との境界があいまいになることはなく、成人式という凄まじい儀式によって、子どもはまったく「別人」になったように、社会の成員としてふさわしい大人になる。彼らは大人としての自覚と責任を具えた人間となる。

○近代社会の特徴

未開社会では、社会は「進歩」せず、ずっと同じ世界が続くとされている。しかし、近代社会は進歩し、その構造や価値観を変えていく。したがって、近代社会で、子どもが大人として「或る社会」へ参入していくとして、その社会が進歩していけばその大人は大人として機能しにくくなっていく。その子供が大人になって更に進歩した社会で大人として認めてもらうとしても、その社会はさらに進歩していくので大人としての機能は曖昧なままである。=このことが背景となって、成人式などの通過儀礼が意味を持たなくなったと考えられる。
→「成人式」の形骸化=沖縄などの成人式のありさまを見よ。社会人としてあるまじき服装と傍若無人な行動をしている。「バカ丸出し」と云っても良いが、あれが成人式なら抱腹絶倒ものだと云える。その場で「軽犯罪法違反」の現行犯で逮捕が可能なのに、なぜか警察官は傍らにいるだけで何もしない。どうしてだろう?

○それでも子どもは大人にならねばならないし、大人は大人であらねばならぬ。
⇔何をもって大人とするか?:現代の根源的な問題


※子ども側からの「家出」=外泊と同義か?
※非行=不良行為:社会規範の拒否?
※親子喧嘩

◎「権威」の意味

⇒社会の作った権威ではない、若者が自ら認めた「権威」には反抗しない。
例えば…

◎死と再生

子どもが大人になる=子どもが母親の庇護から離れる。未開社会では通過儀礼として、それが集団的に行われたが、現代日本では個々の人間を自ら行わなければならない。=象徴的には、「子どもによる親殺し」と云う形で表現される。

或る父親は先祖からの伝統のある菓子製造の仕事に尽くしてきた。彼にとって、息子がその名誉ある仕事を継いでくれる事は自明の事であった。また実際に息子の方も小さい時から父親の仕事に興味を持ち、父親が菓子つくりの難しさを語ったりすると興味深く耳を傾けたりしていた。ところが、息子が大学を受験する時になって、急に自分は法学部に入学して官僚になる、と云い出したので驚いてしまった。そんなバカなことがあるかと父親は怒ったが、息子の言い分にも筋の通っている所があった。というよりも、息子の言い分を聞いて、父親はものが云えなくなってしまった。息子に云わせると、父親は口を開くと税金が高いとか、政治が悪いとかいつも云っている。そんな文句をいいながら菓子作りをしているよりも、日本の政治や役所の在り方を変えてゆくように努力する方が本当ではないか、と云うのである。父親は「先祖代々の仕事」などと偉そうに云っていながら、結局は税金だとか役人の統制とか愚痴ばかりこぼしている。それは本当に自分の仕事に誇りをもっていないからだと思う。父親は息子に完全に云い負けてしまった形になり、不本意ながら、息子の法学部受験に賛成しなくてはならなかった。
↑このようなエピソードは典型的な「父親殺し」と云える。父親が自分の敷いた路線の上を息子が走ってゆくものと決め込んでいたとき、息子は自分自身の固有の道をもっており、それは父親と異なる事を宣言したのみならず、父親の生き方そのものを真向いから批判した。


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