遠隔授業:青年の心理 ADLESCENCE PSYCHOLOGY No.12

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自分を生きる(その1):ペルソナ

−自立の視点 3−

※河合隼雄「大人になる事のむずかしさ」(1996 岩波書店) から

  1. 日本人の自我

  2. 「大人になる」=「自我の確立」と考えるが「自我」の在り方が西洋と日本では異なっている。

    ○或る小学校一年生の子どもが成績不良で幼稚園に落第させられた。(スイスで)
    ←スイスの幼稚園の先生:日本には落第がないのか?=日本ではそんな不親切な教育をしていいのか?=落第させることが「親切」。落第が嫌なら進学できるよう努力し自己主張せよ。との考えかた。
    ←たとえ成績が悪くとも進学させてやるのが「親切」なのは日本流の考え方。

    ○日本人ならば、或る子どもが一年生に入学してくると、その子の成績がどうであれ、その子も気持ちを配慮して、みんな一緒になって進級してゆくことをよしとする。=自我があくまで他とつながっており、自分を主張するよりも他に対する配慮を基盤として存在している。

    ⇒日本人であれば、何も云わなくても相手の気持ちを「察する」ことの出来る人間になることが、大人になることと云えるし、西洋人であれば、自分のことは自己主張できることが大人になることと云える。
    例:例えば、欧米に長く滞在した日本人が帰国して、何のためらいもなく自己主張すると「いばっている」とか「勝手者だ」などと批判されるという事実。
    ⇔長い間日本にいたアメリカ人が帰米すると自己主張しないので「そんなことではアメリカでは生きていけない」と友人に忠告された、と云う話。

    ◎日本人は自我をつくりあげてゆくときに西洋人とは異なり、はっきりと自分を他に対して屹立しうる形で作り上げるのではなく、むしろ自分を他の存在の中に隠し、他を受け入れつつ、なおかつ自分の存在をなくしてしまわない、という複雑な過程を経てこなくてはならない。しかし他に対する配慮があまりに優先すると常に「他の人はどう考えているか」「他の人に笑われないようにしなければ」ということが強くなりすぎて、西洋人からいわせれば「自我がない」事になってしまいかねない。

    ↑どちらが優れている、という訳ではない。両者の在り方は一長一短で、軽々しく判断をすべきことではない(河合 p.139)

  3. 子育ての在り方

  4. 例:

    或る若い女性が母親に付き添われて河合の所に相談にみえた。
    「2年間にわたる恋愛の末に結婚したのだが、夫の両親があまりに理不尽であり、夫の理解も少ないので実家に逃げ帰ってきた。これからいったいどうしたものだろう」という相談(主訴)だった。
    「母親が夫の好きな料理を作って尋ねてくる。夫は妻の気持ちも知らないで『やっぱりお母さんの料理は一番おいしい』などと云いながら喜んで食べ、自分(妻)の作った物を少ししか食べなかった。癪にさわったが辛抱していたらその後、夫が母親に長電話した後で母親に対して先日の礼をいうために電話に出ろと云う。あまりにも妻の気持ちを無視していると思って『出る必要ないでしょ』と云うと、夫は親をないがしろにすると怒り出した」
    「夫の一緒に両親の家に招かれたとき、両親と話していてもそれほど面白くないし、夫と二人で以前の夫の部屋にゆき長々と話をしていた。すると父親がもっと親の気持ちを考えろと文句を云った。夫はすぐに両親の部屋に行ってしまった」

    →[妻の主張]
    夫は両親や家に縛られていて、まったく自立できていない。夫と自分が楽しそうに二人で話をしていたら、もし自分の子どもがかわいいと思うなら夫が楽しく時間を過ごしていると喜ぶべきで、それに対して文句を云うのは身勝手。母親にしても、いかに料理自慢であれ、それを持ってきてまるで妻の料理下手にあてつけるようなことをすべきでない…付き添ってきた母親も「まことにもっともだ」と同意してうなづくばかり。

    ○半分は正しい しかし、

    夫が両親から自立していないと非難するのなら、少しの事で実家へ逃げ帰り、母親に付き添われて相談に来る自分は両親から自立していると云えるのか?
    夫が楽しく自分と過ごしている事を子どもがかわいいと思う限り親は無条件に喜ぶべきだという考えが正しいのなら、彼女が夫を愛しているのなら、夫が母親の料理を喜んで食べているのを無条件で喜ぶべきだ、と云う事になる。

    ◎昔の「嫁」なら泣く泣く辛抱したことだろう。辛抱せずに自己主張するようになることは西洋流になったと云う事。しかし、彼女が本当に西洋流であるのなら泣いて実家に帰ったりはしなかっただろう。自分の考えを夫に告げ、それに対して夫も自分の考えを妻に告げる事になるだろう。それから二人でどうするのかを力を合わせて考え抜いていくだろう。

  5. これからどうなる
  6. では、われわれ日本人はどうすればいいのだろうか?日本人が西洋化されてゆく傾向が現代においても強いことは事実。簡単に後には戻れない。
    「従うべきモデルがない」ことをはっきりと認識することではないか?
    モデルが明確にあるのなら、ある程度how to式の事が云えるはず。「大人になること」について、これほど語ることが難しく、how to式のことが述べにくいのも結局はモデルがないからである。(河合 同書p.143)

    ↑そうするといったい「大人になる」とはどのようになることか?←モデルがないことを認識し、モデルのないところで自分なりの生き方を探ってゆこうとし、それに対して責任を負える人が大人である。大人になるという決められた目標があり、そこに到達するというよりは、自分なりの道をさぐって苦闘する過程そのものが、大人になることなのである。

    ○例:或る女性が恋愛をし、結婚をしようと思ったが、父親がどうしても許してくれない。とうとう自殺を企図したが、未遂に終わり、河合のもとに相談に来られた。彼女の話によると、彼女の恋人はなかなか素晴らしい人間なのだが、何かにつけて父親と反対なのだと云う。
    父親は堅実なサラリーマンで、こつこつと着実に人生を歩んでいく方であるのに、恋人はむしろ腹の太いタイプで、今は一応サラリーマンだが、近い将来は自営業をやりたいと大胆な夢を持っている。父親はたばこを吸わないし、酒も少ししか飲まないが、彼の方は酒もたばこもやるという。彼の話を聞いていると、彼女としてはまったく頼もしい感じがするのだが、彼を一度家に連れてくると、父親はあんないい加減な人間はだめだと決めつけてしまったのである。もう少し話を聞いてみると、彼女も実は父親が大好きであったし、父親も彼女をずいぶんとかわいがってくれたと云う。父親のような人と結婚して、自分も堅実な家庭を築きたいと思っていたのに、同じ職場の彼に対して、だんだんと惹かれるようになったのだと云う。
    彼女によれば、父親の気持ちがむしろよくわかる。父親としても自分の娘が堅い男と結婚し、自分も安心して見ていられる家庭を築くものと期待しただろう。それに彼女が連れてきた恋人はそもそも酒やたばこが好きだと云うだけで父親から見れば失格だろう。父親が自分に今までしてくれたことを思うとこんな恋人と結婚したいということは全く父に対して申し訳なく思う。しかし、かといって自分は結婚を諦めることは出来ない。

    ↑河合が彼女に:そこまで父親の気持ちがわかり、すまないと思うのだったら、父親に対して本当に心からすまないと云ったことがあるか?と尋ねた。
     彼女から返ってきた答えは「ない」との事だった。
    ←河合が「あなたにとって、父親に本当に謝るよりも、死ぬことの方が容易だったのですか」と尋ねた。

    ◎家から、或いは親から離れようとするとき、ある程度の無理をしなくてはなかなか成就しないときがある。この場合は自分でも自覚している通り、父親との結びつきが強かった。父親と正反対の人を選んでくることによって、父からの分離を果たそうとした―――これはある程度無意識のうちに行われることが多いけれど、それが父親にとってどれほど悲しい事かも知っていた。しかし、彼女はそのことをはっきりと親に云えなかった。←彼女の強い甘えがある。自立しようとする者は親に対しても人間と人間の務めを果たさねばならない。済まないと感じる限り、済まないというのが、人間の務めではないか。彼女が河合に対しては、父親に済まないと繰り返し言ったように、彼女も他人に対しては、謝るべき時は謝る事の出来た人なのであろう。しかし、家族に対しては、するべきことをしなくても許されるという甘えがあり、そこを克服するよりは、まだ「死」を選ぶ方が容易だったのだろう。家から自立しようとする者は家族に対して正面から話し合う覚悟を持たなければならない。このことをせずに、ただ家から飛び出しただけでは、孤立にはなっても自立にはならない。

  7. 疑似家族の問題
  8. 家から飛び出しても本来的には家族との結びつきが切れない形として、疑似家族の問題がある。一番典型的なのが、家出をしてやくざに仲間入りしているような例である。やくざ仲間というのは、強力な日本的家族集団である。そのしがらみは普通の家よりはるかに強い。このような場合、青年は自分の家から離れただけで心理的な面から云えば、ますます「家」に取り込まれていったと云わねばならない。ヤクザ仲間が疑似家族を形成している。

    ※最近のヤクザはカウンセリングの初歩の技術を習得していて、「よく話を聴く」事が出来るのだと云う。暴走族の若いメンバー=暴力団予備軍の話を聴いてやり、「あんなに話を聴いてくれる人はいない」と感激させて「準構成員」にするのだと聞く。

    ◎これらを読んでどう思う?ますます「自律」が分からなくなってきたかな?


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