遠隔授業:青年の心理 ADLESCENCE PSYCHOLOGY No.13

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「ペルソナ(persona)」≒他者との関係 vs 「本当の自分」

○"persona"を辞書でひくと…
  1. 対社会・対他者場面で社会的役割を演じる自己(人格)をJung, C. G.(ユング)はpersonaと呼び、Reich, W.(ライヒ)はcharacter defense(性格防衛),つまり真の自己を守るための適応的自己と見做した。
  2. 劇に使われる仮面の意味から、Cicero(キケロ)は(1)実際にはそうでないが他人にはそう見えるもの、(2)人がその人生において演じる役割、(3)人のもっている性質の総体、(4)区分と威厳、とし、今日使われている人格の意味はこれら四つの意義のどれかから分かれてきた。

(新版 精神医学事典 1993 弘文堂)
◇仮面であり、個人が外界に適応していく際に他者に示す顔・態度などの人格の一部分である。この概念は、意識的に体験される自己概念などと混同されてはならない。ペルソナは意識に対し、例えば夢を通して衣服・化粧などのイメージで現れることが多い。
(新版 心理学事典 1981 平凡社)

⇔とても乱暴にかみくだいて説明すると、例えばコンビニでアルバイトをしている大学生で、部活は高校時代からバレーボール部、自宅では3人姉妹の長女、と云う人がいる、とする。

⇒学校では快活な女子学生、部活ではキャプテンでセッター、高校に行けば面倒見の良い先輩、バイト先では有能な店員、家に帰れば責任感の強い長女…

←このどれもがこの女性の人格の一部分。言い換えれば「お面」。どれもが彼女だけれど、どれをとっても「彼女そのもの」ではない。なぜなら、それが彼女の全てではないから。

←この女性、実は内面ではとてもうじうじしていて踏ん切りが悪く、嫌な体験が「後をひく」人だったりもする。切り替えて「見せて」いるだけ、こも知れない。それでも、会った人は「気持ちの良い、さばさばした人」だと思うだろう。「隠れネクラ」と呼ぶにふさわしい人の可能性もある。

↑この場合の「学校では快活な女子学生、部活ではキャプテンでセッター、高校に行けば面倒見の良い先輩、バイト先では有能な店員、家に帰れば責任感の強い長女」の部分をペルソナ、と呼び、「実は内面ではとてもうじうじしていて踏ん切りが悪く、嫌な体験が『後をひく』」の部分を「影(shadow)」と呼ぶ。

○、では、本当の彼女はどこにいる?

★ 上記のどれをとっても「本当の彼女」であるとも云えるし、そうじゃない、とも云える。=上記全部を(これだけでも足りない、かも知れないけれど)さして「本当の彼女」なのだろうか?

※「これだけでも足りない」と云ったのは、彼女の歴史(幼い時の心の傷とか、小学校時代のいじめられた体験とか、長女として育ったばっかりに両親に甘えるのがとても下手、だとかのここには書かれていないいろいろな側面があるかも知れない=こんな事は誰にだって云えること、だから。

◎ 自分の「ペルソナ」を書き出してみて。その中に「本当の自分」は存在していると思うか?=思うはず。だって、それが日常的に体験している「自分自身」だから。

◎ じゃ、自分の「影(shadow)」は?

☆他者(これがたとえば友人・恋人・バイト先の店長・親でそれぞれ異なることが多いが)に「見せたい(このように見てほしい)自分」と云うのがいる。

⇔ところが、「見せたくない(見られたくない)自分」については案外、考えていないことが多い。どう?

○誰にだって、心に傷がある。それでもなんとかここまで頑張って生きてきた。

◎その「頑張ってきた」自分をたまには褒めてあげて。しょっちゅう褒めない方がいい。前に進むのが嫌になったりするから。

○さて、本当の自分はどこにいるでしょうか?=本当の自分とは何でしょう?


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