遠隔授業:青年の心理 ADLESCENCE PSYCHOLOGY No.5

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自己意識:自分とはだれか?何者か?

  1. 「自分」の変化
    1. 子ども時代の身体から、大人の身体へと変化する→自分を外から見つめざるを得なくなる。自己客観視の「強制」→自意識の目覚め
    2. 身体能力の発達から出来る事が増える。大人の能力の獲得。周囲が子どもとして扱わなくなる。社会的な自分が創られる。→何が出来る?できた?
    3. 周囲(最初は子ども同士、次第に家族や身の回りの大人)と自分を比べる。
    4. 何が違う?

      "I":主格。何かを「する」自分=「見る」
      "me":目的格。何かを「してもらう」自分=「見られる」

  2. 昨日の自分は今の自分か?
  3. 昨日の自分と今の自分は同じなのか? 同じだとはだれも保証してくれない。自分は昨日寝る前の自分と今朝起きた自分は同じだと思っている。しかしこれは、自分がそう思っているだけである。寝ている間は意識がないのだから、その間に自分の中身を取り換えられても自分にはわからない。自分は自分で変わらないと思っているだけなのである。

    生物として見ると、身体の大部分は約40日でほとんど細胞が置き換わっている。=自分であって自分ではない。それでも記憶は保存され、自分では「見た目」は変わらないと思う。

    「胡蝶の夢」
    「荘氏」のなかに、「胡蝶の夢」という話がある。主人公が春の野原、花の咲いている所にいる。そこに蝶々が飛んでくる。主人公はふと自分が蝶になって飛んでいるように思う。確かに自分は飛んでいる。ところが目が覚めてみると、自分は蝶ではなく蝶を見ている人間である。夢の中で飛んでいる蝶が自分なのか、覚めている状態での自分が本当の自分なのか。蝶である自分の方が自分のような気がする。自分がどちらなのかわからなくなってしまった、と云う話。

  4. 自分を見る
  5. 自分のことは自分が一番よく知っているようだが、自分で自分を見る事は難しい。不可能と云って良い。自分で自分を見るとき、me:鏡に映った自分は見えるが、鏡を見ている自分は見えない。自分の目を自分で見る事は出来ない。

    ○ある青年の手記
    「自分の目はどうして見えないのか。自分は自分で見えない。自分は心を持っている。他の人も心を持っている。どうして人の心は見えないのか。人は悲しい時には、悲しい目をしている。嬉しい時には嬉しい目をしている。だから、人の心はその人の目を見ればわかると思ってきた。自分の目は自分では見る事ができない。すると、自分には自分も、自分の心も見えないのか」。

    ⇒主体のIは自分が見たとたんmeに変わってしまう。つまり、Iは見る事が出来ない。でも、生きているのはIである。自分はわかりそうでいて、わからない。だから人は鏡を使って自分を見ようとする。女子大学生で鏡を持っていない人は殆どいない。人は自分がわからないので、様々な鏡を使う。物理的な鏡もあるけれど、他人(友人)に自分を話すとか、かかわってみて相手がどんなふうに反応するのかを通して、自分を知ろうともする。他人を自分の鏡にする。「自分を見るのに、自分の家族を使ってきた。でも、自分が家にいる時には自分がよく見えなかった。独り暮らしをするようになり、家族から離れてみたら自分の家族と云う鏡の中に自分の像がしっかりと映るようになった。家に居た時には鏡が近すぎて自分が良く映らなかった(或る学生のレポートから)」。

  6. どこから来たのか・・・自分の身体は自分のものか
    1. 父の精子と、母の卵子から出来た=どちらも自分のものではない。
    2. 母の胎内での栄養は母からもらった。
    3. 生まれてからも食べた物も自分の物ではない。
    4. 今ここで得ている知識も自分のものではない。

    →自分のものはどれだけか?「自分はない」とも云える。=無
    →しかし、自分はここにいる。父でも母でもない。=有
    ⇒「命」は誰からもらったのか?

  7. どこへ行くのか・・・職業・家庭・人生…
  8. ※自分が死んだらどこへ行くのか?


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