○例えば、今ここで「東日本大震災」並みの地震に襲われたとする。
→電気・水道・ガスなどのpower line(=life line)がすべて途絶えた。
→どうする? 家族や友人との連絡・栄養の補給・けが人の手当て・雨風除けのシェルターの設置
…その前に飲んでも大丈夫な水=けがの手当てや要介護の老人の清拭に使える水の確保は出来るのか?から。
◎たぶん、君たちはなにも出来ない。何も知らないから。暴動を起こしたりしないだけ他の国の国民よりはとても偉いとは思うが。暴動がない理由は後述。
⇔何が云いたいのか?と云うと、文明の結実にずっと囲まれ続けた人間の不幸。
※「地図」読めるか?
※日本中の保育園や幼稚園で今、問題になっている事:手洗い
※二十年ほど前から学校で問題になった事:用便
⇔なぜだ?と思う?=考えてみて欲しい。
※"INDIVIDUALIZATION"
「公共の場」と「私的な空間」の区別がつかない⇒全部「私的な空間」として使ってしまう。=駅でべったりと床に座ってパンを食べる・化粧をする。夜のファミレスでの若い者のうるさいこと!=自分の部屋みたい。
★知らない、のは君たちが悪いのではない。「生産現場から遠ざけられた」だけ。
⇒「場」と自分との「関わりあい」についての考え方
⇔「関係」をつくらない=「関係ない」と思っている。⇒誰からも「関係ない」と自分が思われても平気だと思っている。←じゃ、さびしがるな。
⇒さびしがるんだよね。矛盾してない?
☆「友人の作り方」も変わってきた=社会の在り方が変わってきたから。
→なにが変わったか? 「場所」による拘束の緩和=スマホ・携帯の登場!
※道也廊下にゴミが落ちてたら拾う?拾わない?それはどうして?
例:少女マンガの「筋」の変化
昔は「いじめられ、理不尽な目に遭い、それでも努力と工夫で…」
今は「出来事の羅列」=「漫画の主人公による代理体験」から「それ、あるある」の「軽い」エピソードをつぎから次へ、の変化。
→何が起こっているのか?・・・一生懸命に生きるのはカッコ悪い?
TV、誰と見る?=個室化すると「会話の場」が消える。
←歌謡番組・クイズ番組、どれだけ残っているか?
◎若者はいつ誰と話しているのか?=SNS(on line)
←会話の質が変わる=言葉の周りにくっついているnon-verbalな部分が消える。
だからそれを「絵文字」で必死に補う。それでも不十分。
⇒その結果としての流行語「K.Y.」
←昔は読まなくても良かった。皆の顔を見たり、会話の語調を聞いていれば。
←その部分が消えたから、今の若者は苦労している。ご苦労さん!
→だから、関係の深さをnon-verbal levelで測るのが非常に下手になった。
→どうやって測ろうとしているのか?
※それでうまくいっているのか?
◎「ストーカー」とは何か?
◎Domestic Violenceとは何か?
←「根」は同じ。極端にプライドが高いか低いか。
○こんな(素晴らしい)俺をふるなんて!こうしてやる!!!
○お願いだから棄てないで、生きていけない・・・
●別の言い方をすると、日本人は「対人関係の深め方」が変わった、と云える?
※もう一度"INDIVISUALIZATION"
⇔相手がいても「自分でなくてもいいんだろうな」状態?
○G.W.に石川から出て、富山・新潟・福島・茨城・埼玉・山梨・長野・岐阜、とまわってきた。ROAD SIDEの風景はどこも同じ=「FAST風土」化した。
→どこでも一緒、味も同じ…McDonald, 吉野家現象と呼んでも良い。
→「客」の「無名化」=誰でも同じ。そこには関係が成立しない。
※君たちは学校に来て掃除をしてくれている人たちと会話したことがあるか?学生食堂の人たちと会話したことがあるか?
→目の前にいる人を「人」だと思っているか?自動販売機と同じか?
◎「本気」で話された事を「本気」で聴く経験、そして、それを「本気」で話して、「本気」で聞いてもらった経験をどれだけしたか?しているか?
←減った。だから「いじめ」が常態化する。恋愛が出来事化する。
←本気で話すと「バカを見る」経験をするから。
※高岡中学校でのEPISODE
「どうして人を殺してはいけないのか?」と職員室で居並ぶ先生たちにかたっぱしから質問をした生徒がいた。⇔答えられる?
→→「殺す側」と「殺される側」のどちらから見るか?
※「告白合戦」と「マブダチ」
⇒on lineとoff lineでのコミュニケーションの二重化による「疑心暗鬼」
◎では「幸福」とは何か?
○自分だけが「幸福」という状況はあり得るのか?
⇒今の西欧のestablishment(社会を支える重要産業の幹部とその家族達)を見よ。
=今のマスプロ的食材生産現場を見よ。あれでいいと思うのか?
(スーパーでアルバイトしている主婦はそのスーパーで調理したものを買わないと云う。何故だろう?)
○結局、個人が出来うることで「自己決定」の最も有利な担保の方法とは?
⇒「守備範囲の広さ」或いは「柔軟さ」=自己決定の際の応用範囲の大きさ
=演算ベースの大きさ=知識量がまず問題。ここで「差」がつく。これが民度。
※「学校週休二日制」も「郵政民営化」も「裁判員制度の導入」も… ⇔誰が誰に「おしつけた」?=誰が得をする?
○「宗教」とは何か?=「人間の大きさ」の規定(前提作業)+「絶対」の設定
←日本人は「無宗教」なのか?(中谷はそのようには思っていない)
※「水戸黄門」と「お上」と「神様」=多くの日本人にとっては同じようなものらしい。「お上」=「水戸黄門」は間違いを正して下さる!=無誤謬性への信仰
⇒「共同体幻想」=困ったときはお互い様、と言い合えると思っているし、またその通りでもあるのが日本。これがアメリカだと?
=生活に困ってアメリカに密入国してきた人々をもとからアメリカ人は救おうとするか?
※「利他」を説く或いは実践する者にのみ、人間は「心洗われる」思いを持つ。
↑これは今の青年たちも同じ。東日本大震災の現場を見よ。あのボランティアはどこから現れたか?高校生から40代までの人々が圧倒的。これは何を意味していると考えられるか?
○かつて子どもは、子どもであることの制限の多さ=不自由さから「1日も早く大人になりたい」と思ったものだった。だが、現代の子どもたち、とりわけ青年の多くは「早く大人になりたい」とは思わなくなっている。青年が「特権を剥奪された少数者集団」であるのは過去の事なのだろうか? 一方、学歴偏重・管理強化の教育体制のなかで、乗り越えるべき目標は見当たらず、情報化社会のなかでは直接経験は減少し、具体的な生活実感はますます希薄化していく。増え続ける不登校・student apathy・anorexia nervosaなど一連の「identityをめぐる葛藤」もこれらの社会状況とは無関係ではないだろう。
青年期が或る種の「混乱と混沌の時期だとしたら、それは青年の内と外に起こってくる変化が本人にとって初めての体験によるからである(人生に起こることは(死ぬまでずっと)全てその人にとって初体験ばかり)。急激な身体の変化、経験したことのない性の衝動と異性への欲求、子どもでもない大人でもない社会的位置づけの曖昧さからくる期待や扱いの不合理、経済的・社会的視力の乏しさと有り余るエネルギーを有効に生かせない不全感…これらが青年に不安やとまどい、混乱、時には自分以外に対する敵意すら抱かせる場合もある。
上記に加えて、社会環境や規範などの急速な変化によって、従来の青年理解の枠組みでは把握しきれない側面が生まれてきた。
テレビが一般家庭に普及したのは1960年代、今の青少年は生まれた時からテレビ・コンピュータに接してきた。とりわけテレビの影響は当初から問題にされてきた。例えばBandura, Aらの一連の実験によって暴力場面を観察することで子どもは攻撃行動を学習することが実証されるなど、毎日のように放映される暴力場面に日常接することによる影響が懸念された。→テレビが「青少年の非行や暴力行為を助長する」と考えているおとなは4割にものぼる(総理府広報室「暮らしと情報通信に関する世論調査」1987)。
→テレビの視聴時間は減っている。それに代わって、携帯・スマホ(に取り込まれている時間を述べ時間にすると…)。殆ど携帯の「奴隷状態」。モノに使われている事すら自覚できない「哀れな」状態。ここで質問。
※大学祭でのepisode
→ペンキの種類がわからない。刷毛の手入れに仕方も知らない。
→お金を触った手で食品を触る。
→埃だらけの「着ぐるみ」で食品のそばに立つ。
→だから目の前に居ないともっと熾烈。ネットでの誹謗中傷を見よ。
→いじめられた経験があるのに人をいじめる。それは「仕返し」?
※コンビニやレストランで(見ず知らずの)店員と「雑談」したことある?
→東日本大震災当時の「興味本位」のネット・ツイートの激増
→ニュース・新聞への接触率の低下=自分の友人と家族だけが大事。
↑そうじゃない人たちが震災や災害現場でボランティアをしてる。
◎問題は「そうじゃない人」と「そんな人」が簡単に入れ替われること。
キャンパス内でもよく見られる現象として
※他者に対する「思いやり=配慮」が出来るのが大人、だとすると現代の青年の「お子ちゃま」化=育ち損ない←君たちだけのせいではない。携帯・スマホを君たちに「売りつけた」大人とそれを許容した大人たちのせいでもある。
まだある。携帯・スマホの画面ばかり見ているので、
(上記のa-eともかぶるが)
○脱日本人化=東日本大震災の時の日本人の美徳との乖離
○最も大きなものとして、読書習慣の減少
※この科目の受講生で
@活字中毒は?
A「本好き」は?
B月に一冊は読む、と云う人は?
C半年に一冊は読む、と云う人は?
D年に一冊は読む、と云う人は
◎世界標準では、大学生は「週に数冊は本を読む」(assignment reading含む)
●本を読まないから「モノを知らない」
・中華料理に出てくる「スプーン」を何と呼ぶ?その理由は?
・「かどまつ」とはなに?その意味は?
・神社に張ってある「注連縄(七五三縄、とも書く)」の意味は?
・畳のヘリを踏んで歩いてはならないのはなぜ?そのいわれは?
・人前を横切るときにする仕草は?その訳は?
←それで「日本人」だと云えるのか?日本の風習すら説明できない。
●君たちは「なに人」のつもりなのか?
◎「箸」ちゃんと持てるか?
◎「着物」自分で着られるか?(中谷は「角帯」が締められないけれど)
☆文化の継承も出来ていない。本も読まない。大人と会話もできない。
⇒どこで、誰から、どうやって、お金を貰って働くつもりなのか?
⇒単純労働者になるなら、話はわかるが、もったいないとは思わないのか?
◎何が「もったいない」のか?
↑学歴と仕事の上で求められる要件とのgap。何のための高学歴?
↑役に立たない理科・社会。ホントに役に立たないか?立ててないだけでは?
だからこれらを「もったいない」と云っているのだ。
○ちゃんと「日本人」になれば?せっかく日本に生まれたんだし。
○世界に誇れる「日本人」。さすが!と云われるようになれば?