遠隔授業:青年の心理 ADLESCENCE PSYCHOLOGY No.7

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モノは豊かにあるけれど…

○例えば、今ここで「東日本大震災」並みの地震に襲われたとする。
→電気・水道・ガスなどのpower line(=life line)がすべて途絶えた。
→どうする? 家族や友人との連絡・栄養の補給・けが人の手当て・雨風除けのシェルターの設置
   …その前に飲んでも大丈夫な水=けがの手当てや要介護の老人の清拭に使える水の確保は出来るのか?から。

◎たぶん、君たちはなにも出来ない。何も知らないから。暴動を起こしたりしないだけ他の国の国民よりはとても偉いとは思うが。暴動がない理由は後述
⇔何が云いたいのか?と云うと、文明の結実にずっと囲まれ続けた人間の不幸。
※「地図」読めるか?
※日本中の保育園や幼稚園で今、問題になっている事:手洗い
※二十年ほど前から学校で問題になった事:用便
⇔なぜだ?と思う?=考えてみて欲しい
※"INDIVIDUALIZATION"
「公共の場」と「私的な空間」の区別がつかない⇒全部「私的な空間」として使ってしまう。=駅でべったりと床に座ってパンを食べる・化粧をする。夜のファミレスでの若い者のうるさいこと!=自分の部屋みたい。

★知らない、のは君たちが悪いのではない。「生産現場から遠ざけられた」だけ。
⇒「場」と自分との「関わりあい」についての考え方
「関係」をつくらない=「関係ない」と思っている。⇒誰からも「関係ない」と自分が思われても平気だと思っている。←じゃ、さびしがるな。
⇒さびしがるんだよね。矛盾してない?
☆「友人の作り方」も変わってきた=社会の在り方が変わってきたから。
→なにが変わったか? 「場所」による拘束の緩和=スマホ・携帯の登場!

※道也廊下にゴミが落ちてたら拾う?拾わない?それはどうして?

例:少女マンガの「筋」の変化
昔は「いじめられ、理不尽な目に遭い、それでも努力と工夫で…」
今は「出来事の羅列」=「漫画の主人公による代理体験」から「それ、あるある」の「軽い」エピソードをつぎから次へ、の変化。

→何が起こっているのか?・・・一生懸命に生きるのはカッコ悪い?
TV、誰と見る?=個室化すると「会話の場」が消える。
←歌謡番組・クイズ番組、どれだけ残っているか?
◎若者はいつ誰と話しているのか?=SNS(on line)

←会話の質が変わる=言葉の周りにくっついているnon-verbalな部分が消える。
 だからそれを「絵文字」で必死に補う。それでも不十分。

⇒その結果としての流行語「K.Y.」
←昔は読まなくても良かった。皆の顔を見たり、会話の語調を聞いていれば。
←その部分が消えたから、今の若者は苦労している。ご苦労さん!
→だから、関係の深さをnon-verbal levelで測るのが非常に下手になった。
→どうやって測ろうとしているのか?
※それでうまくいっているのか?

◎「ストーカー」とは何か?
◎Domestic Violenceとは何か?
←「根」は同じ。極端にプライドが高いか低いか。
○こんな(素晴らしい)俺をふるなんて!こうしてやる!!!
○お願いだから棄てないで、生きていけない・・・

●別の言い方をすると、日本人は「対人関係の深め方」が変わった、と云える?
※もう一度"INDIVISUALIZATION"
⇔相手がいても「自分でなくてもいいんだろうな」状態?

○G.W.に石川から出て、富山・新潟・福島・茨城・埼玉・山梨・長野・岐阜、とまわってきた。ROAD SIDEの風景はどこも同じ=「FAST風土」化した。
→どこでも一緒、味も同じ…McDonald, 吉野家現象と呼んでも良い。
「客」の「無名化」=誰でも同じ。そこには関係が成立しない。
※君たちは学校に来て掃除をしてくれている人たちと会話したことがあるか?学生食堂の人たちと会話したことがあるか?
目の前にいる人を「人」だと思っているか?自動販売機と同じか?

「本気」で話された事を「本気」で聴く経験、そして、それを「本気」で話して、「本気」で聞いてもらった経験をどれだけしたか?しているか?
←減った。だから「いじめ」が常態化する。恋愛が出来事化する。
←本気で話すと「バカを見る」経験をするから。
※高岡中学校でのEPISODE
「どうして人を殺してはいけないのか?」と職員室で居並ぶ先生たちにかたっぱしから質問をした生徒がいた。⇔答えられる?
→→「殺す側」と「殺される側」のどちらから見るか?
※「告白合戦」と「マブダチ」
⇒on lineとoff lineでのコミュニケーションの二重化による「疑心暗鬼」
◎では「幸福」とは何か?
○自分だけが「幸福」という状況はあり得るのか?
⇒今の西欧のestablishment(社会を支える重要産業の幹部とその家族達)を見よ。
=今のマスプロ的食材生産現場を見よ。あれでいいと思うのか?
(スーパーでアルバイトしている主婦はそのスーパーで調理したものを買わないと云う。何故だろう?)

○結局、個人が出来うることで「自己決定」の最も有利な担保の方法とは?
⇒「守備範囲の広さ」或いは「柔軟さ」=自己決定の際の応用範囲の大きさ
=演算ベースの大きさ=知識量がまず問題。ここで「差」がつく。これが民度。

※「学校週休二日制」も「郵政民営化」も「裁判員制度の導入」も… ⇔誰が誰に「おしつけた」?=誰が得をする?

○「宗教」とは何か?=「人間の大きさ」の規定(前提作業)+「絶対」の設定

←日本人は「無宗教」なのか?(中谷はそのようには思っていない)

※「水戸黄門」と「お上」と「神様」=多くの日本人にとっては同じようなものらしい。「お上」=「水戸黄門」は間違いを正して下さる!=無誤謬性への信仰
⇒「共同体幻想」=困ったときはお互い様、と言い合えると思っているし、またその通りでもあるのが日本。これがアメリカだと?
=生活に困ってアメリカに密入国してきた人々をもとからアメリカ人は救おうとするか?
※「利他」を説く或いは実践する者にのみ、人間は「心洗われる」思いを持つ。
↑これは今の青年たちも同じ。東日本大震災の現場を見よ。あのボランティアはどこから現れたか?高校生から40代までの人々が圧倒的。これは何を意味していると考えられるか?

○かつて子どもは、子どもであることの制限の多さ=不自由さから「1日も早く大人になりたい」と思ったものだった。だが、現代の子どもたち、とりわけ青年の多くは「早く大人になりたい」とは思わなくなっている。青年が「特権を剥奪された少数者集団」であるのは過去の事なのだろうか? 一方、学歴偏重・管理強化の教育体制のなかで、乗り越えるべき目標は見当たらず、情報化社会のなかでは直接経験は減少し、具体的な生活実感はますます希薄化していく。増え続ける不登校・student apathy・anorexia nervosaなど一連の「identityをめぐる葛藤」もこれらの社会状況とは無関係ではないだろう。


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